花まつりと誕生説話
春、4月8日はお釈迦さまのお誕生をお祝いする日です。
この日は色鮮やかな花々で飾られた花御堂(はなみどう)に生まれたばかりのお釈迦さまの像(誕生仏)をまつり、甘茶を注いでお祝いをします。
花まつりはインド発祥と言われ、さまざまな仏教国に伝わり、日本では推古天皇の14年(西暦606年)に奈良の元興寺で初めて行われたという記録が残っています。
ちなみに花まつりという名前は大正から使われ、「花」とは、まさにこの時期、春の始めに咲く「桜」のことです。
世界中の聖人や歴史的偉人には、神秘的な誕生秘話や説話がつきものですが、お釈迦さまも例外にもれず諸説にわたって誕生にまつわる話が残されています。
もっともこういった伝説はさまざまな比喩のあらわれですが、まずはご一緒に読んでいきましょう。
今から2500年ほど前、ヒマラヤ山麓にカピラ城を中心とした釈迦族の小さな国家がありました。
執政官の名前は浄飯王(じょうぼんのう)、妃は摩耶夫人(まやぶにん)といいコーリア族の執政官の娘でした。王の名前には「飯」という文字があるとおり、釈迦族は稲作の盛んな農耕民族だったようです。
ある夜摩耶夫人は、天空から六本の牙を持った白像が右わきからお腹の中に入ってきたという夢を見て、太子の懐妊を知ります。
そして出産が近づくと、習慣にしたがって生家に行列をしたがえて帰国しようとしていた道中、現在のネパールにあったルンビニーの花園で見つけた、道ばたに咲いていた無憂樹(むうじゅ)の花の香りをかごうとそっと枝を引き寄せたところ、急に産気づいて右わきから太子が生まれたのです。
紀元前463年4月8日のことです。
言い伝えによれば、誕生の瞬間に天から甘露がふりそそがれ産湯となり、神々は天のかさをかざし、曼陀羅華(まんだらけ=美しい花)を降らせたといいます。
花まつりではこの様子を再現して花御堂を作り、甘茶を誕生仏に注ぎます。
また右わきから太子が生まれたというのは、インドでは古来、神々に仕えるものは頭から、国や地域を治めるものは右わきから、民衆はお腹から、身分の低いものは足から生まれるという言い方がされてきたことから、太子が執政官の子であるということを表すためです。
天上天下 唯我独尊
話を続けましょう。後にお釈迦さまと呼ばれるこの太子は、生まれてすぐ東西南北の四方にそれぞれ七歩あゆむと、右手を天に、左手を地に向けて発した「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」と産声をあげたと伝えられています。
誕生偈とも呼ばれる「天上天下 唯我独尊」という言葉は、そのまま現代語に訳すと「この広い宇宙の中で、私がもっとも尊い存在である」とでもなりましょうか。
これだけを読むと、生まれたばかりの赤ん坊が何て独善的なと思われるかも知れません。
しかしこのあとに「三界皆苦 我当安之(さんがいかいく がとうあんし)~人生の場で悩む人々を、私が安らかにしよう。そのために生まれてきたのだ」という本意と祈りの言葉が続いています。
つまりこの言葉は、お釈迦さまが尊い志しを実践するために生まれてきたと後世に伝えるためだったということがわかります。
仏となったお釈迦さまも、法華経の如来寿量品第十六の中で「我れもまたこれ世の父 もろもろの苦患を救う者なり~私(お釈迦さま)はこの世の父親である。人々のいろいろな苦しみや悲しみを取り除く者である」と宣言されています。
この経文に出会うと、生まれながらに尊い、そして尊い存在となったお釈迦さまの子が私たちであり、私たち一人ひとりも親同様、尊い存在になれるんだということになります。
そして生まれてすぐに七歩あるいたという伝えにもいくつかの意味が含まれています。
一つご紹介しましょう。
まずお釈迦さまが覚りを得る前に、6人の過古仏がいらっしゃったといいます。
つまり7人目の仏さまがお釈迦さまということです。
これはお釈迦様とて一人で覚ったのではなく、それまでの過去仏の積み重ねがお釈迦さまのお覚りにつながったのだということを意味しています。
このお釈迦さまを含めた7人の仏さまに共通する教えが「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」といって、仏教で説かれるもっとも基本的な教えです。
それは、
諸悪莫作(しょあくまくさ) ~悪いことはしない、させない
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ~善いことはさせていただく
自浄其意(じじょうごい) ~そうすると、心が清らかになる
是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ~これが諸仏の教えである
難しくはありませんね。
ピンとこない方のためにもう一つ。
お寺の掲示板にあった言葉です。
そこには、
悪いことをやめようと思えば、やめられる
善いことをしようと思えば、できる
と書いてありました。なんだ簡単なこと・・・と思ってしまったあなた。
実はこれにはもう1行あるんです。
それを思い上がりという。
皆さんはいかがでしょう。
私はかつて大学で学んだ難解な仏教とはあまりにもかけ離れた言葉だと思い、「またヒマな坊さんが、なんか適当なことを書いてるんだな」と思ったんです。
しかしそれから何年もたって、私がやっと仏さまや宗祖の教えは、どんどん暮らしの中で生かさなくてはならないという思いに至った時、初めて七仏通戒偈と掲示板の言葉が書かれたわけに気づきました。
「自分は、そんな当たり前なことがちっともできてないじゃないか」ということです。
言うは易し行うは難しという先人の言葉が身にしみました。
誕生仏にも目を向けてみましょう。
なぜ誕生仏に甘茶をかけるのかと言えば、先にご紹介した伝説がその理由ですが、そもそも生まれたばかりの赤ちゃんは、一人で体を清めることはできません。
そこから導き出されるのは、何でも一人で抱え込まないで、自分一人でできないことは誰かにしていただけばいい。
そしてその分自分にできそうな人さまのことはしてさしあげればいい。
困った時はお互いさまだからいいじゃないかという生き方も、実は仏さまの智慧なんだとわかるような気がします。
生まれてきてくれてありがとう
話をもとに戻します。
出産後、摩耶夫人が太子とともにカピラ城に戻ると国中が歓喜に包まれ、太子はゴータマ・シッダルタと名付けられました。
ゴータマは姓で最上の牛、シッダルタが名で目的を成就した者という意味です。
またこういう言い伝えもあります。
太子が生まれた知らせを天から聞いた高名なアシタ仙人が訪ねてきました。
ひと目太子を見ると目に涙を浮かべたのです。
父浄飯王は不安になって太子は短命なのかと仙人に聞きます。
仙人は「そうではありません。太子はこれから仏さまになって尊い教えを説かれるであろうに、同じ時代に生まれながら私の寿命が残り少なくてそれを聞くことができないのです」と答えました。
どちらも太子が究極的な存在となるような暗示が含まれています。
さて、とても悲しいことが起こります。
母摩耶夫人が太子を生んでわずか七日後に息を引き取ったのです。
お釈迦さまの一生は、この上ない悲しみから始まったと言えます。
その後、摩耶夫人の妹で、新しく妃となった摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)が養母となってゴータマ・シッダルタを育てたということです。
最後に、花まつりはお誕生のお祝いと感謝の日です。
私たちはいくつになっても誕生日おめでとうと言われればうれしいものですが、一番のお祝いの言葉と言えば「生まれてきてくれてありがとう」ではないでしょうか。
この思いをそのままお釈迦さまに向ければ、それが花まつりを祝う趣旨となります。
そして「生まれてきてくれてありがとう」という生き方は、「産んでくれてありがとう」という両親への感謝にも結びつきます。
たくさんの生き物が活力を取り戻す春は、気持ちも新たにこれからどんな風に生きていこうかとあらためて考えるいい季節ですね。
花まつりとお釈迦さまの誕生説話
花まつり お釈迦さま